防衛省 航空幕僚監部 広報室 広報班
文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。今年5月29日、航空自衛隊を代表する花形飛行部隊「ブルーインパルス」が東京の上空を舞い、話題となった。同隊は2015年12月号の本稿でも紹介したが、今号は、今年6月までその現場責任者を務めた隊のトップに取材し、改めて「ブルーインパルス」について尋ねた。
常に最後のフライトという気持ちで搭乗してきた
5月29日正午過ぎ、航空自衛隊のアクロバット飛行隊「ブルーインパルス」が、板橋区の上空から上野公園、亀戸周辺、葛飾区、浅草、東京駅、五反田付近を経由し、渋谷、新宿上空を経て、板橋方面に戻るフライトを行った。その様子は複数のインターネット中継で生配信され、それがSNS等で拡散。6機のその雄姿は、数十分の間、東京都だけでなく、全国の人々の目を釘付けにした。
このフライトは、主に新型コロナウイルスに対応する医療従事者に敬意と感謝を示すため、「ブルーインパルス」が特別に飛行したものだ。福田哲雄2佐は、当時同隊隊長としてフライト全体の指揮官として、地上から見守っていた。
「フライト後、想像以上に多くの方から連絡をいただきました。正直、これほど反響があるとは思っていませんでした。新型コロナ以降、日本全体が下を向きがちだったと思います。このフライトにより人々が空を見上げ、気持ちが前向きになるきっかけになったのであれば嬉しいです」
このフライトの約2週間後、福田2佐は同隊を後にし、現職の空幕広報室に着任した。本当は自身もフライトしたかったのでは?と尋ねると、迷うことなく答えた。
「このフライトに限らず、2020年のフライトは後任に任せ、自分は地上から見守るつもりでした。それに、これまでも常にこのフライトが最後かもしれない、という覚悟を持って搭乗していたので、悔いはありません」
普航空自衛隊の広報部隊として全国のイベント等で飛行
同隊は正式には、「松島基地第4航空団第11飛行隊」を指し、空自内のさまざまな航空部隊の中で、広報を目的としたアクロバット飛行を専門としている。アクロバット仕様に改修されたブルーインパルス専用「T—4」を使用。1番機から6番機まで専属のパイロットが担当し、全国の空自基地で行われる「航空祭」を中心に、年間約20回前後の展示飛行を行っている。
福田2佐はその隊全体を指揮する隊長。そのため、十数名のパイロットが所属する飛行班はもちろん、別名「ドルフィンキーパー」と呼ばれる整備チーム、さらには総務人事に至るまで、隊全体の管理運営を担っていた。
もちろん、本人もパイロットとして1番機に搭乗していた。「アクロバティックな飛行はもっと得意な隊員がいる」と福田2佐は笑うが、1番機は6機の編隊を指揮・先導する責任者である。また、約7年間F15戦闘機に搭乗、教官も務めた、空自を代表する戦闘機パイロットの一人である。
逃げずに挑戦し続けたから今の自分がある
福田2佐は隊長として、2019年ラグビーW杯日本大会開会式、2020年東京オリパラ大会聖火到着式など、歴史に残るイベントを経験。ただ、本人はフライトだけでなく、本番に至るまでの準備や調整も強く印象に残っているという。
「フライト自体に注目が集まりがちですが、その技術を隊員が持つのは大前提で、実はその準備段階も同じぐらい重要です。フライトに向けたパイロット同士の認識の統一や、機体の整備や移動、天候データの確認など、一回の展示飛行を行うまでにクリアすべきことは山のようにあります」
3年の任期中、印象に残るエピソードを尋ねると、ひとつは2018年3月の奄美空港のフライト、もうひとつは2019年9月に6機がエンジントラブルから復帰したことだと語った。
「奄美は初めての民間空港でのフライトで、近くに自衛隊基地もなく、機体と各種機材等の輸送が非常に大変でしたが、空自全体で取り組んでいただき、なんとか達成できました。また、2019年4月から6月までは、エンジントラブルの影響でほとんどフライトが出来ませんでした。6機揃ったのが9月。その間、多くの隊員が辛く悔しい想いをしたと思います。その分、元の体制に戻った時の感動はひとしおで、6機揃ってのフライト時は、私も熱いものがこみ上げてきました」
そして、福田2佐はもうひとつエピソードを付け加えた。2018年8月の群馬県桐生市のフライト。群馬県は福田2佐が大学時代を過ごしたまちだ。
「上空を飛んだ時、大学時代のことが思い出されました。実は大学時代は戦闘機どころか、空自に入ろうとすら思いませんでした。その後、適性もあり、空自入隊、戦闘機搭乗と、常に挑戦し続けて今の自分があります。その挑戦する姿勢は、ブルーを離れても持ち続けたいと思います」