農家を守る、農地を守る、農業を守る。これができるのはJAだけ。
世田谷区の住宅地に4500坪の畑を持つ農家に生まれる。大学卒業と同時に就農。野菜作りの名人と言われる父親は超えられないと、世田谷では難しいと言われたブドウ栽培に挑戦。今ではブドウ狩りは世田谷区定番のイベントになっている。世田谷目黒農業協同組合経営管理委員会会長、飯田勝弘さんに都市農業のあり方についてうかがった。
農業と農地を守る
農業経営でなければならない。
—世田谷区というと住宅地というイメージがありますが、そこで農業、農地を守っていくのは大変ではありませんか。
飯田 私は農家に生まれて、65歳の今日まで農家をやってきましたが、私が生まれた頃は一生懸命やっていれば、農業で食べていける状況でした。ところが東京オリンピックの頃から開発が始まって、40年代になると都市計画法ができて宅地並み課税という問題に直面し、農業だけでやっていくのが難しくなった。少なくとも東京23区内ではまず無理な状況になりましたね。
基本となる農地が少ないですから、農業所得を上げると言っても限界があります。ですから、自分の家の資産全体の中に、農業をどういうふうに組み入れて家の経営を成り立たせるかということが重要になってきました。
—区制100周年の2032年に区の面積の3分の1を緑にするという基本計画「世田谷みどり33」があります。公園は簡単に造れませんから、せめて農地を守っていくしかないと思うのですが、農地も貴重な緑と言えるのではないでしょうか。
飯田 緑を公共的に守ろうとしたら、ものすごいお金がかかります。要するに税金がかかるわけですが、農地は農家の人がきちんと耕して、作物を作っていますから、緑と言ってもいいかもしれません。そういう意味では「世田谷みどり33」にはものすごく貢献できていると思います。
私は、農地には多面的な機能と同時に多様な機能があると思っているんですね。多面的な機能というのは、例えば、災害時には避難所になるとか、ヒートアイランドを緩和するとか、景観がよくなるとか、農地であれば発揮できる機能です。
一方、多様な機能というのは、例えば体験農園をやって、皆さんが来て心が和むとか、小学生の学習の材料にするとか、いろんな人が関わっていろんな工夫をすることで発揮できる機能です。私はこの二つが、都市にある農地の意義だと思っているんです。
—確かに、そこに農地があって、農家さんがいて、やってくれなかったらできないことですね。
飯田 「野菜ができたから収穫しにきませんか」と保育園に働きかけて、保育園も乗ってくれて、子供たちが喜ぶ姿を見るのは農家にとっても嬉しいことです。採算がどうのといった気持ちではやっていないと思う。みんなやりがいの一つとしてやっているんですよ。農協改革の1丁目1番地は農業所得の増大とよく言われますが、そんなことはないと思います。
もともと畑であったり田んぼであったりしたところを不動産として運営しているだけで、みなさん基本的には農家なんですよ。税金が払えないから不動産も運営しているだけで、農業所得の増大というところにスポットを当てすぎると、農家が息苦しくなってしまうと思います。
だから、農家経営の中の不動産経営であり農業経営という位置づけで、バランスを取ってやっていくことでしか農地は残せないと思う。農家の人には畑を半分売って済むならそうして、なんとしてでも農地を残そうという気持ちになってもらう。そういう農業経営でなければいけないと思うんですよね。
世田谷の土では難しいから、逆にやる気になったブドウ栽培。
—大学を出られてすぐに就農されたのですか。
飯田 はい。
—どこか会社に勤めようという思いは全くなく?
飯田 勤めたいと思ったことはありましたが、親とバーター取引で、「卒業したら農家やるから、その前に海外に出してくれ」と言って、フィリピンに農場の開発の手伝いに行っていたんです。大学からの紹介で。
本来は1年半ぐらいで帰ってくることになっていたんですが、帰らないで知らん顔していたら、帰って来いという手紙がガンガン来て、さすがにおふくろに泣きつかれると帰って来ざるを得ず……。
大学を休学してフィリピンに行ったので、残りの単位を取って卒業して、そのまま就農。もう45年になってしまいました。
—その頃からブドウは作られていたのですか。
飯田 いえ、都市近郊ですから典型的な野菜農家でした。
大学を卒業する時に恩師から「おまえのおやじは野菜作りの名人だ。絶対に追い抜けないから別のものをやれ」と言われたんですよ。それで、果樹を選んだ。先生の専門が果樹だったから(笑)。
—名人とは?
飯田 何か特殊な能力があるわけではなくて、一生懸命やる、おいしくしたいと思う、工夫をする、積極的にかかわることだと思います。もっとおいしくしたい、もっといいものにしたいと思うと一手間も二手間も余計にかかります。それをかけるかかけないかの話。子育てと変わらないんじゃないですかね。
—なるほど、それでブドウを。世田谷の土はブドウ栽培に適しているのですか。
飯田 最悪みたいですね。ここは火山灰土壌ですから、実がならない、糖度も乗らない、いいのはできないと言われていました。でも、そう言われたからやったんだと思う。
—反骨精神ですね。
飯田 単なるへそ曲がり(笑)。いいものはできないと言われたから逆にやる気になったし、一生懸命応援してくれた農業改良普及所の先生とか農協の人だとか、そういう人たちがいたからできたんだと思います。
—摘取りで販売しているんですよね。
飯田 観光農園のスタイルですが、観光しちゃだめ、中で遊んじゃだめ、採ったらさっさと帰れみたいな感じでやってます(笑)。そうしないとさばき切れないぐらい人が並んでしまうんですよ。
—期間はどれくらいですか。
飯田 半日ですかね。
—えっ、年に半日だけ?
飯田 朝9時から始めて、10時とか11時には売り切れてしまうので、来週もやるという話にならないんですよ。「こっちは来週の分だから採っちゃダメだ」なんて、商売してる時に言いますか?
それに数量制限もしません。朝の4時5時から待っている人と、開園時間に来た人を一緒にして「一人2房ね」なんて言えるわけがない。みんなに行きわたるようにしなきゃいけないという理由がわからない。こっちは売っているんだから。どんどん採っていってもらって、売り切れてバンザイです(笑)。
農家がいなければ、農地を守ることはできない。
—畑仕事とJAの仕事を両立させるのは大変ではありませんか。
飯田 最初に役員になって、次に会長をやれと言われ、週1回くらいのはずだったのに、うそつきで(笑)。週に3日、4日はJAに来ています。畑は、家内と娘が見かねてよくやってくれるので、何とかやれているんです。
—都市農業振興基本法ができて、都市農業に追い風が吹いたと言われますが、実際はいかがですか。
飯田 都市農業振興基本法と言っていますが、農業を振興するための法律ではなくて、実は土地の価格を調整するための法律だと思っています。土地を吐き出させるための40年前の宅地並み課税と同じで、今回は生産緑地法の切替えの問題もあって、いっぺんに農地が出て土地が暴落したら困るから、何としても農地にしておけ、売りに出したりするなと言っているんですよ。
ただ、とっても助かるところもあるので、大いに利用して農地が減らないよう活用しようと思っています。
今、JAで農地を借り上げて、貸農園や企業の福利厚生の場所として使えるようにしているんですね。そうやって農地を残しておいてあげれば、次の世代が農業をやると言ってくれるかもしれないでしょう。それまでのつなぎになればと思って、一生懸命やっています。
—JAが存在する意義はそういうところなんですね。
飯田 政府は基本的に農地の保全は考えていますが、農家の育成はいっさい考えていません。だけど農家がいなくなったら、農地なんて守れるわけがない。農地を残す残さないを決めるのは農家ですからね。農家がもういいや、売っちゃおうと思ったらおしまいなんですよ。
—誰も止める権利はないですものね。
飯田 そうです。そこでネックになるのが相続税です。都市農業振興基本法だ何だといっても、相続がある限り農地は絶対に減ります。相続税を何とかしてくれる法律ができるとは思えませんから、今ある納税猶予制度とか生産緑地制度をしっかり理解して、うまく使って、少しでも農地を残していくしかないと思っています。
そのためには後継者ができる、もしくはリタイアした人がもういっぺん畑を耕してみようと言ってもらえるような環境を、JAが一生懸命整えることだと思うんです。どうしてもいない場合は、先ほども言いましたが、つなぎでもいいからJAが手伝って何とかする。もうそれしか都会で農地を残す方法はないと思います。
—相続税を払うために、畑を半分売ったという話を聞くと切ないです。
飯田 税理士に頼めば、ここを売って相続税払いましょうというのが当たり前です。別に悪いとは思いませんが、JAに相談に来てもらえれば、農地は残したほうがいいですよ、こういう制度がありますよ、という話ができます。
東京や都市部のJAが血道を上げてやらなければならないのは、所得の増大のために生産物を売ってあげるとか、資材を安くするとか、そんなことではない。相続の時に、代々受け継いできた農地を残せるようしっかりアドバイスし続けることなんですよ。
農家を守る、農地を守る、農業を守る、これをそれぞれにきちっとやれるのは、この3点セットを守れるのはJAだけだと思っています。
(インタビュー/津久井 美智江)