いよいよオリパラ開催

  • 記事:平田 邦彦

本番を控えて考える

 「日本は」とか、「日本人は」と、とかく自慢げに語られることがある。確かに競技が終わったスタジアムのゴミ掃除をする観客の姿が褒められたり、街が美しいと言われたりする外国の報道に接すると、それだけで嬉しく思いはするが、単純に喜んでばかりはいられない。

 世界はそれこそ色んな慣習なり、文化があって、日本では当たり前に思われていることが、むしろガラパゴス状態で、奇異に思われることも少なくないと覚えておくべきだろう。さりとて、にわか仕立てで付け焼刃的に何かを改めることもお勧めしがたい。日本に来られた人々が気持ちよく、楽しんでいただければ良いわけで、それは普段我々自身が不愉快に思うことを慎むだけで済むと考えれば良いのではないだろうか。

 むしろオリンピック・パラリンピックの開催時期中に自然災害が起こらないことを願うばかりだ。世界には地震を知らない国は沢山あるし、もしその時期に首都直下地震など発災すればパニックを起こされることは不可避なのだ。

 また一部のリベラルと自認する方々が主張するように、争いごとは何でも話し合えば済むものではなく、邪な思いを抱く輩が事を起こす危険性が極めて高い機会だと強く思い、それなりの心構えが必要だ。ITの発達はこれまでとは全く異なる事象を引き起こす可能性がある。

 銃器保持が認められていないわが国で、これまでのような凶悪な殺傷事件は起きにくいとしても、ドローンのようなものは過去に存在していなかったし、これだけインターネットが普及すると、これを使ったサイバーテロは、ちょっとした知識さえあれば誰にでも引き起こせる。

 競技に参加する選手たちが、研鑽を重ねているように、テロを計画している輩もそれに劣らぬ努力を重ねて準備をしていることを忘れてはならない。世界には多くの紛争が続いているし、この場を使って己の主張をしようとする存在を否定できない。そんな連中とどうやって話し合うというのだ。

 戦争を知らずに育ち、すっかり平和ボケした日本では、警戒心も緊張感も希薄となっていることを改めて思い直そうではないか。

 オリンピック・パラリンピックは、世界の人々に日本を知ってもらう格好の機会ではあるが、それはまた自己の主張を世界にアピールしたいと考えている連中にとっても絶好の機会となることを忘れてはならない。

 国は4千万人の訪日客を目論んでいるが、そのうちの何%かは、危険極まりない人物が潜んでいると考えておくべきなのだ。だからどうしろって、個人の立場で出来ることは限られている。せめてその意識を高めておくことだけは出来そうだ。

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