白地図を埋めていくのではなく、その土地の深さを知る旅に変わる。
ヨーロッパの田舎やアジアの奥地など、世界各地へのユニークな旅をプロデュースしてきた。その根底にあるのは、世界の文化や日本にまだ知られていない国を知ってほしい、好きになってほしいという思いだ。その思いは、日本についても同じ。2018年12月、神田明神に誕生した文化交流会館「EDOCCO」を舞台に、江戸・東京の文化を発信している。常に時代をリードする企画力と誠実な旅づくりで知られる株式会社ワールド航空サービス、日本の伝統文化を継承し創造する株式会社COCORO代表取締役会長、菊間潤吾さんにお話をうかがった。
江戸の文化を伝えるとともに東京のサブカルチャーも発信する。
—こちらの名刺のCOCOROという会社はどんなことをされているのですか。
菊間 2018年12月、神田明神創建1300年の記念事業として、日本の伝統文化を継承し、創造するために神田明神文化交流会館「EDOCCO」がオープンしたんですが、COCOROは、地下1階のイベントスペース「EDOCCO STUDIO」と4階「貴賓室の令和の間」の運営を基本とした神社全体での文化創造交流についての事業を任されています。
私は神田明神がこの交流館を構想した時から関わってきて、1年近くたって方向性も見えてきましたし、想像していなかったような試みも実現できています。
例えば、今年の夏から、日本の縁日を訪日外国人のみなさんに知ってもらうために、「DMO東京 丸の内」、神田神社と地域一帯が連携して「江戸東京夜市」を始めました。焼きそばやたこ焼きなどの定番の屋台をはじめ、サブカル屋台などこれまでにない縁日体験や、全国各地の盆踊り、石見神楽などのパフォーマンスなど、来場者に「観る」だけでなく、「触れる」「参加する」祭り体験を提供したいと思っています。日本の観光の課題とも言われているナイトタイムエコノミーにも貢献できますしね。
—外国人だけでなく日本人も楽しいと思います。
菊間 そうですね。神田明神は神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内地区の氏神様、江戸の総鎮守です。神社をベースに街のにぎわいがあって周りが栄えていて、そこに風物詩的なものがあったわけですね。
明神下は、昔は花街の一つだったと思うんですが、幇間は今、日本に6人しか残っていません。それは芸を披露するところがないからです。だからここで六花街の芸者に踊ってもらって、幇間に芸を披露してもらうとか、かっぽれの芸を見せてもらうとか、そういう江戸の文化をぜひ伝えていきたいと思っています。
それからサブカルチャーも大切な文化と捉えています。実は、神田明神はサブカルチャーに対して理解が深いんです。サブカルの聖地と言われる秋葉原との連動をどういうふうにしていくかを考えていて、地下アイドルのステージや、サンリオと組んでハローキティの舞台をつくったりもしているんですよ。
その都市のオリジナルな文化はかなり重要です。ウィーンはクラシック音楽、モスクワはバレエというように、その都市のイメージがあります。じゃあ東京は何だという時に、相撲でもないし、歌舞伎でもない。将来的に東京とか日本オリジナルの文化としてサブカルチャーはかなり大きな要素になるだろうと思っています。現にフランスとかドイツに行って街の大きな書店に行くと、入り口のいちばん目立つところは日本のマンガコーナーですからね。
オープニングの時に三笠宮彬子女王殿下にオープニングスピーチをしていただいたんですが、伝統を継承していくのはとても大事なことだし、その時の新しい文化やサブカルチャーを大切にしていくことも大事なことだというお話をしていただいて、私としては我が意を得たりと思って、ほっとしましてね(笑)。
正直言うとサブカルチャーはしっかり採算が取れるんです。日本文化だけだと全然取れない。だから、その辺のバランスが必要かなと思いながらやっているんです。
単に旅行の手配をするのではなく、世界の文化を紹介したい。
—本業である旅行と関係なくはないと思いますが、なぜ「EDOCCO」に関わることになったのですか。
菊間 旅行業界では「海外の菊間が何で日本の文化の紹介をやっているんだ」とよく言われます。 私としては、単に旅行の手配をするのではなく、海外の文化の紹介をするために、ツアーを作ったり、本に書いたり、いろんなことをやってきましたが、やっぱり日本の文化を外国の人に紹介したいという思いも強くあるんですね。
—外国の文化を紹介するためにツアーを作る。だからどのツアーもすごくユニークなのですね。
菊間 ワールド航空サービス自体、どこかの旅行会社の代理店からスタートしたわけではないんですね。世界の文化とか、日本にまだ知られていない国をどうやって紹介し、どうやってそこを好きになってもらうかという国際交流からスタートしているんです。だから、日本人グループとして初めてキューバに行くとか、ビルマ(現ミャンマー)鎖国解禁後の第1号のツアーとか、最初はそんな感じだったんですよ。
ビルマのそのツアーの時は、東南アジアの旅行というと当時は女性遊びが目的みたいなイメージでしたから、ツアーのパンフレットに「現地女性に興味のあるお客様のご参加はお断りします」と大きく書きましてね。そうじゃないと勘違いされて、ビルマ行って遊ぼうぜなんて思われたらたまりませんから。そういう我々の姿勢に賛同してくれる方々が集まって、だんだん大きくしていただいたんです。
—ツアーを作るに当たって、まずご自身が先遣隊として行かれるわけですよね。
菊間 そうですね。例えば、サウジアラビアは最近、観光ビザが解禁されましたが、私は20年以上前にツアーを企画しました。
向こうの王族に、「どうしてサウジアラビアは外国人の観光客を入れないのか」と尋ねたら、「自分のところには聖地があるから知らない人は入れない」と。「我々はイスラムに興味があって、イランもヨルダンも旅行して、アカバから網越しにサウジに行きたいねと見たりした。そういう人たちが行きたいと言っているんですよ」と言ったら、「君の知っている人たちなら、女性はだめだけど、男性で60歳以上だったら特別に許可する」となって、初めてサウジアラビアに入ったんです。
イタリアの旅行会社からは、「何でお宅の会社だけが入れるのか」と言われましたが、私のサインがないとビザが下りなかったですから。開拓するのが好きなんですよ(笑)。
—怖い思いもされたのではないですか
菊間 そう怖い思いはしてないです。シリアからヨルダンにタクシーを一人でチャーターして渡る時に、日本赤軍と間違えられて3時間ぐらい監禁されたのはいやでしたけどね。
世界中というか、ヨーロッパだったらどんな田舎も行っているし、中近東、北極南極含めて行ってないところはないと思います。
ただ、韓国とグアムだけは足を踏み入れてなかったんです。最近、仕事で韓国は行くようになりましたが、グアムはまだ行っていない。一つぐらい行ってないところがあったほうが楽しいと思って、グアムは最後まで取ってあるんです。
世界と伍していくために、出国率を高めることは重要です。
—最近の若者は留学も含め海外に出たがらないと言いますが……。
菊間 我々も文科省や観光庁、外務省などといろいろな施策をやっていますが、やはり日本人は劣っていますね。海外の有名な大学、オックスフォードにしてもどこにしても、中国と韓国は満杯だからもう来なくていいけど、日本はどうして来ないんだと言われます。枠は余っているのにと。
出国率でいうと、若者だけじゃありませんが、韓国は40%超、台湾も37%です。それに対して日本は14%レベル。
アジアの中で海外旅行が自由化されたのは日本が飛び抜けて早く1964年、東京オリンピックの年です。それに遅れること10年で台湾が自由化し、さらに10年たって韓国が自由化し、また10年たって中国が自由化した。ですから、日本がアジアでいちばんインターナショナルな感性を持った国だとされていました。
ところが今は出国率からいうと日本がいちばん少ないわけです。ここから先、日本がアジアの中で先進的にいけるかどうか心配になりますね。出国率をどう高めるかは、重要な問題ととらえています。
—旅行だけでなく、世界と伍していけるかということですね。
菊間 そうです。日本人は英語も弱いし、日本はユニークカントリーの一つになっていますからね、悔しいですけど。インターナショナルな感性で、みんなで何かやろうという時に、日本人がいるから同時通訳入れなきゃまずいんじゃない?という雰囲気になる。そういうことも含め、若者を啓蒙していかなければならないと思っています。
—政府は2020年にインバウンド4000万人、アウトバウンド2000万人という目標値を掲げていますが、達成できそうですか。
菊間 最初はインバウンドは行くだろうけど、アウトバウンドは無理だろうと言われていました。しかし、一生懸命いろんなことをやった結果、アウトバウンドは今年ついに2000万人に到達します。インバウンドも2020年には達成するでしょうから、いよいよ双方向交流6000万人の大交流時代を迎えるわけですね。
—オーバーツーリズムということが言われ始めていますが、目標値を達成したら大変なことになるのではないでしょうか。
菊間 世界で言われているオーバーツーリズムと日本の場合はちょっと違います。日本では観光地が混んでいるという意味合いですが、世界では人々の生活に支障を来している、人口の何十倍も観光客が来てしまい、人々がそこに住まなくなっている、そういうことをオーバーツーリズムと呼んでいるんですね。
オーバーツーリズムということを考えた時に、我々旅行業社がすべきことは時期をどうずらすかということです。日本人はベストシーズン信仰が強いから、気候がいちばんいい時期に行きたがりますが、その時は人がいっぱいで、その街の魅力が感じられるかどうか。
ちょっと寒いかもしれないけれど、人があまりいない時期のほうが旧市街の雰囲気がすごく伝わってくるとか、いろんな季節の表情に出会えるとか、あるいは場所をずらして集中させないようにすることによって地方のよさを紹介することができるわけですね。
今までは、日本人は白い地図を埋めていくような旅でしたが、これからはそこの土地の深さを知る形に旅の傾向が変わっていかないといけないと思う。そういう意味で旅行会社はどこまで現地を理解して、どういう商品を作るかが勝負。旅行会社の役割というのは、これからますます問われると私は思っています。
(インタビュー/津久井 美智江)