失敗した分だけ、成功は近づく。
4年前に社長を退任し、会長になった。創業時から受け継がれるパイオニアスピリットを伝えたいと、チーフ・テクノロジー・アーキテクトの肩書きを持って現場に復帰した。「新しい常識を創造」するには観察が大事と話す株式会社寺岡精工代表取締役会長、寺岡和治さんにお話をうかがった。
もう一度現場に戻って、パイオニアスピリットを伝えたい。
―名刺にあるチーフ・テクノロジー・アーキテクトという肩書きは、どういうものなのでしょう。
寺岡 僕は4年前に社長を退任し、会長になったんです。会長というのは特に決まりがなく、自由にできるポジションなんですね。
僕は製品の開発とか、マーケティングが大好きなので、そういう領域で会社に貢献ができて、自分もよければいいと思ってね。
当時は、今でも似たような状況ですが、日本を代表するような大企業が軒並みひっくり返っていました。一時期輝いていた企業がなぜあんなことになってしまうのかと考えてみると、経営の世代が代わるごとに、創業時の精神とか、新しいことをやってみようといったスピリットが劣化していっているんじゃないかと。毎日の仕事に追われ、一方では株主のことも考えなければなりませんからね。
だから、日々のマネジメントをやるのではなく、もう一度現場に戻って、創業時から受け継がれるパイオニアスピリットを若いエンジニアに伝える触媒のような役割をやってみたいと思ったんです。それで、執行責任があるオフィサーではなく、チーフ・テクノロジー・アーキテクトにしたんですよ。
―世代交代は、やはり難しいですか。
寺岡 そうですね。世代交代は避けることはできませんから、できるだけ目の黒いうちに交代して、新しいソリューションを作るおもしろさとか、勘所とか、そういうことを若い人たちと一緒に実際にプロジェクトをやりながら伝えていけたらいいと思っています。
それに現役時代にやりたくてもできなかったこともやりたいですしね。
—例えばどんな?
寺岡 昔やっていたハワイアンのバンドを再開しました。それから、セーリングにも行けるようになりましたね。ただ、ダイビングはちょっと厳しくなってしまいましたが……。
—創業者はカリフォルニアの大学に留学したそうですが、明治時代にアメリカに留学するのは珍しかったのではありませんか。
寺岡 僕の祖父ですが、ほとんどいなかったと思います。祖父は柳川の生まれで熊本県の濟々黌という学校で英語の先生をやっていたそうです。英語の先生をやっていてもおもしろくないというので東京へ出てきて、何かやりたかったんだけれど何をやっていいかわからない。それでアメリカへ行って勉強しようと、サンフランシスコの夜学に入ったんです。昼間はアルバイトをしてね。7、8年行っていたみたいです。
—そこでインスピレーションを得たのが、はかりだったのですか。
寺岡 はかりにたどり着くまでにずいぶん失敗したらしいです。口癖は、七転び八起き。実際に7回ぐらい転んでいるようです。
最初は手回し式の計算機を作ったんですね。いいものができたと得意になって、そろばんの名手と競争したらしいんですよ。
当時の逓信省にそろばんの名手がたくさんいて、その中のいちばん強い人と競争したら、負けちゃいましてね。それで日本電気計算機という会社がつぶれちゃった(笑)。
イノベーションを起こしていかないと、日本の今の閉塞感は打ち破れない。
—これまでにない新しいものを生み出すために必要なことは、どんなことだと思われますか。
寺岡 やはり、お客さんのところに行って話を聞いたり、現場を見たり、議論をしたりする。一方で、次々と出てくる新しい技術、テクノロジーでどんなことができるかなということを理解しておくことだと思います。
そういう課題を頭に置きながら生活をしていると、ある時にテクノロジーの可能性とお客さんのニーズが頭の中でドッキングするんです。原子炉が臨界点に達するみたいに。
—そのニーズをつかむのが大変なのではないでしょうか。
寺岡 そうですね。お客さん自身がどういうことで困っているのかを、わかっているようでわかっていない。僕は、声なき声と言っているんですが、お客さんすら気がついていない、だけど本当は必要なんだということを、お客さんと話をしながら、議論をしながら感じ取っていくことが大事。こちら側の感度が大事なんですね。
—確かに、何か思いがあっても、体系立てて説明できないことってたくさんあります。
寺岡 僕はよく社員に話すんですが、2007年にアップルのスティーブ・ジョブズがiPhoneを持ってステージに出てきて、何千人もの開発者の前で「僕は電話を再発明した」と言いました。あの時みんな、きょとんとしていましたよね、電話を再発明って何だろう。我々は携帯電話という便利なものを既に持っているのに、今さらどうするのと。
彼は、電話の使い方を変えると言ったんですね。実際あれから2、3年たったら電話の使い方が変わって、それまでの携帯電話にはガラケーという不名誉な名前がついて、スマホなしでは生活できなくなってしまいました。
そういうイノベーションと言うのかな、そういうことを起こしていかないと、日本の今の閉塞感は打ち破れないんじゃないですかね。
—日本から何か起こりそうでしょうか。
寺岡 難しいでしょうね。僕らが小学生の頃は学習指導要領もまだまだ粗削りで、先生もマニュアルがあって教えているわけではなく、好き勝手にやっていました。今日は近くのお百姓さんのところへ行って農業の話を聞こうじゃないか、今日はあそこの庄屋さんに先祖がどんな生活をしていたか聞こうじゃないかとかね。そういうことをしても教育委員会に怒られることはなかった。しかし、頭のいいお役人さんたちが教育制度を一生懸命に考えると、どんどん制度が緻密になってくる。緻密になると最終的には決まったことを決まったようにやるしかなくなってしまう。
そういうところで勉強すると、はみ出せないんですね。はみ出るということを知らない。そういうところに原因があるんじゃないかと思いますね。
これも社内でよく言うことなんですけどね、どんどん失敗しろと。時間をかけて作って、やっとマーケットに出すのではなく、小刻みでもいいから早く作って試作をして、失敗してまた試作をして、失敗のサイクルをどんどん速くする。そうすることによって今まで見えなかったことが見えてくる。失敗した分だけ、成功が近づくと思えばいいんですね。
—お爺様ではありませんが、会長もたくさん失敗されました?
寺岡 たくさん失敗しました。実は昨日も社内の会議で失敗したプロジェクトの話をしたところでした。
お客さんの話を聞き、観察することから、新しいソリューションが生まれる。
—今ではスーパーマーケットや飲食店のバックヤードにも進出していますが、やはりはかりで量るというところから発展しているのでしょうか。
寺岡 はかりを作った時のお客さんは町の小売店でした。それから何十年たった時に、そういったお肉屋さんや八百屋さんや魚屋さんが、流通革命という流れの中でつぶれたり、スーパーマーケットに業態を変えたんですね。
今までのお客さんである小売店がスーパーマーケットに変わったので、スーパーマーケット向けの機械やソリューションを作っていくことにしたんです。
—それはお客さまがあったらいいなと漠然と思っていらっしゃることを形にしていくということですか。
寺岡 先ほども言ったように、お客さんから何がほしいという話はなかなか聞けません。ただ、話を聞きながら現場を観察していると、お客さんは当たり前だと思ってやっていることでも、我々門外漢から見ると、何でそうやっているんだろうという素朴な疑問がわくことがある。
例えば、1980年ぐらいかな、スーパーのバックルームに行ったら、一人の店員さんがトレイに魚を盛り、隣の人が手でフィルムを巻いて、それを冷蔵庫に入れる。今度は別の人がそれを冷蔵庫から出してはかりにかけて、プリンターでラベルを作って貼っている。魚をトレイに入れて、包装して、量って、ラベルを貼るという、基本的には一つの仕事なのに、それを3人の人が分業でやっているんですね。
何でそうなんだろうなと考えてみたら、提供側がはかり、プリンター、ハンドラッパー、それぞれの機械をバラバラに提供しているから、お客さんもそれを使ってバラバラに仕事しているんだと。だったら、商品をはかりに乗せたら自動的に重さを量って、フィルムをかけて、ラベルが印刷されて貼れる機械を作ろうとなる。
—なるほど。観察、ですか。
寺岡 観察です。それから、マーケティングの先生が言っていることと違うことをやることですね。マーケティングの先生というのは、いまだにマーケットのニーズを調べて、それをもとに製品を考えてマーケットに出す、マーケットインが大事だと言います。だけど、マーケットインをやっている限りは新しいものは出てきません。
だから、スティーブ・ジョブズのように、プロダクトアウト、要するにこういうものができたら世の中が変わる、というものをメーカーからプッシュしていくことのほうが大事だと思います。
—目からうろこが落ちました。観察するために一般の客としてスーパーに行ったり、飲食店に行ったりされるのですか。
寺岡 それはしますね。
—食べた気がしないということにはなりませんか。
寺岡 妻には言われますね、あなたと食事に行っても楽しくないと(笑)。料理のことを聞くならいいんですが、会計の仕方を聞きはじめたり、どうでもいいことを店員さんに聞いたりするのでね(笑)。
—最後に、これからはどのような分野に進出していかれるのでしょう。
寺岡 事業領域としては、第一はスーパーマーケットを中心とした流通小売業、二つ目は流通小売業の一つ上流にある食品の加工をしている工場、三つ目が作ったものをお店に運ぶロジスティックスという領域、そして四つ目がホスピタリティ、飲食業です。
この四つの領域に対して、それぞれ尖ったソリューションを開発し、それらを一つの共通したサービスとセットして提供する。名刺にも書いてあるように、「新しい常識を創造」していきたいと思っています。