第58回 イタリアの人々に愛されてきたお米
イタリアの人々の主食というと、小麦粉を使ったパスタやパンなどといったイメージが強いのではないでしょうか。実際それらの消費量が、とても多いのは事実ですが、北イタリアをはじめとした、いくつかの地域の人々は、パスタよりもリーゾ(お米)を多く食べる習慣があり、稲作も行われています。
そもそも古代ローマ時代、お米は高価な舶来品だったそうです。当時のお米は、食用の穀物としては捉えられておらず、スパイス(香辛料)の一種として治療目的で流通していました。医薬品として、身体の不調や病気の治療目的に、医師によって処方される煎じ薬だったのです。
1万年以上前、中国やインドで始まったといわれるお米の栽培。15世紀後半になると、北イタリアのロンバルディア州でも、それまでは高価な輸入品のみであったお米の栽培が始まりました。それを機に、リーゾの存在は医薬品から、食用、食事療法の要素へと変化していきました。イタリア北部、中部の4つの州をまたぐ、ポー川流域の湿地帯において、急速に広まった稲作文化。総延長650㎞を超えるイタリア最長の川、ポー川の豊富な水量こそが、周辺地域での米の栽培を可能にしました。ところが、水田が増えたことによる蚊の発生で、この地域でマラリアが大流行。居住地域周辺でのお米の栽培は制限され、さらには禁止されるまでに至ります。しかし、伝統的な穀物と比較して、稲作の収穫量の多さや利益率の高さは、農民たちにとっては病気の危険性よりも魅力的に感じられたのでしょう。この地域のお米の栽培は拡大を続けていきました。
その後16世紀には、地中海地域の広域において、飢饉やペストが頻発。そんな食糧難の時代にも、リーゾは人々の飢えを満たすことのできる大きな存在となっていきました。
来月は、話を現代に移し、古いお米に価値がある? イタリア熟成米事情のお話です。