全世界が最も必要としているのは日本がもっている寛容さです。
産業工学の大学教師から政治家に転身。トルコ政府与党・公正発展党(AKP)の創設メンバーの一人で、同党のメディア担当を務めた。外交官としてのスタートは、2017年に就任した駐日本大使。「メディアとの良好な関係」を重視するトルコ共和国特命全権大使ハサン・ムラット・メルジャンさんにお話をうかがった。
世界最大規模のトプカプ宮殿の展覧会が東京と京都で開催
―今年はトルコ文化年ということで、3月20日から国立新美術館で「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」が開催されますが、2019年には何か意味があるのですか。
メルジャン トプカプ宮殿博物館(以下、トプカプ宮殿)の収蔵品を日本に持ってきて展示するという企画がまずあって、トルコ文化年が先にあったわけではありません。
そこに日本の天皇陛下の退位・即位の儀が行われるという偶然が重なりました。また、G20サミットも開催されます。日本にとって重要な年に、友好国であるトルコが文化年を開催することは、両国にとってとても意義のあることだと思っています。
―オスマン帝国の至宝がたくさん来るそうですが、見どころはどこですか。
メルジャン もちろん、すべて価値のあるものですが、意味のあるものという観点から見ると、日本の皇室からオスマン帝国のスルタンに贈られた贈答品や明治期の日本美術品を展示するコーナーと、スルタン・マフムート2世が座っていた台座はとても貴重です。
また、今回はトルコ国民がこよなく愛する花・チューリップがテーマになっているので、チューリップがあしらわれた宝飾品や工芸品、食器、武器、書籍、服飾品なども注目していただきたいですね。
合計171点の収蔵品が来ますが、この規模の収蔵品が一度に海外に出ることは、これまでなかったそうです。現地以外で行われるトプカプ宮殿の展覧会としては、世界最大規模の展覧会です。東京近郊、京都近郊にいらっしゃる日本の方々にとっては、トルコの多様な芸術や文化に触れられる大きなチャンスだと思います。
—すごく楽しみです。この企画は何年くらい前からスタートしたのですか。
メルジャン 約1年半前です。2017年、私が日本に着任することが決まった時に、日本経済新聞社のイスタンブル支局を訪れたんです。その時、支局長から「日経にとってトプカプの展覧会を東京で開催することは長年の夢だけれど、なかなか実現ができない」とお話がありました。
私はもともと外交官ではなく、現在の大統領と一緒に与党の公正発展党(AKP)を設立したメンバーの一人で、長いこと国会議員をやっておりました。大統領とも懇意にしておりましたので、その話をしたところ、「いいよ」という返事が来て、私も正直驚きました。
トプカプ宮殿から一つでも作品を持ち出して展示するということはかなり難しいことなんです。本来であれば、かなり特別な手続きがあって、さらに閣僚会議にまでかけられる話なんですよ。
会場となる国立新美術館、主催・共催の日本経済新聞社、TBS、BS—TBSの方々がいなかったら、実現は不可能だったと思います。本当に感謝しております。また、運搬に関してはターキッシュ・エアラインズがスポンサーになってくださいました。所轄している文化観光省の大臣以下すべての方々、トプカプ宮殿の館長、宮殿のスタッフの方々にも助けられました。
その結果、ありがたいことに実現できました。でも、もう一回やれと言われたら、ちょっと迷います(笑)。
アジア東西の端にある両国の言語には驚くべき共通点がたくさんある
—政治家から大使になられたということですが、日本が初めてでいらっしゃいますか。
メルジャン 外交官としてのキャリアは、東京に着任した2017年11月17日から始まりました。
私はもちろん駐日トルコ共和国大使ではありますが、心の中では「駐日トルコ・日本大使」と考えています。今、アンカラにいる宮島昭夫大使は、「2つの国民は異なる2つの心と体を持っているが、信念は一つである」とおっしゃっていますが、私もまさにそのとおりだと思います。
—日本へ来て1年余り経ちますが、日本の印象はいかがですか。
メルジャン それまでに2度来日していますが、良いイメージは全く変わっていません。日本の方々とより近く接して、日本の方々がいかに律儀で、思いやりがあって、恩義を大切にして、お互いに敬意を持っているかということがよくわかりました。
一つ例を挙げますと、野球観戦に行った時、皆さん、アルコールを飲んで盛り上がっていました。若い方が多いのに羽目を外すこともなく、盛り上がった後、飲み終わったビールのカップを分別し、床に一つもゴミを残さず帰る姿を見て、本当にびっくりしました。
また別の観点から見ますと、伝統とか風習をここまで受け継いでいる国というのは珍しいと思います。観光地として昔のものを保存しているのではなく、伝統が今も生活の中に生きている。昔からある伝統行事、例えば七五三には小さい子供でもちゃんと着物を着たり、大人もお祭りなどでは浴衣を着たりと、昔の風習が今の生活の中にうまく溶け込んでいることにすごく感銘を受けました。
日本の方々にとっては、たまには堅苦しく感じるのかもしれませんが、外国人として見るとすばらしいと思います。
—それは長い歴史と伝統があるからだと思いますが。
メルジャン もちろんそうですが、教育もあると思います。
実は、ずっと考えていることがありまして……。すべての民族は、地理的な条件とか周りの影響を受けます。言語もそうです。トルコ語ですと、アラビア語やペルシャ語、英語などからかなり影響を受けていて、日本語は中国語や、最近だと英語からかなりの外来語が入ってきていると思います。これは世界のどこでも自然なことですし、言語はこのようにして育っていきます。
一方で、文法の構造自体、骨組み自体はなかなか変わることはありません。ところが、アジアの東端と西端にある日本とトルコの言語を比較すると、驚くべき共通点がたくさんある。
なぜ社会的な交流がほぼ不可能な2つの国が、同じ文法構造を守り続けているのか。考えてもなかなか結論にたどり着けないのはまさにそこで、私が思い当たるのは、おそらく日本とトルコの国民はルーツが同じだということです。
トルコに「目から遠くなる者は心からも遠くなる」という格言がありますが、普通だったら地理的な距離と心の距離は比例するはずなのに、日本とトルコの場合はそうではない。 これだけ親近感があるのはすばらしいことですし、うれしいことです。
良いこと、ポジティブなことは、分ければ分けるほど大きくなる
—トルコはアジアとヨーロッパにまたがる交差点に位置します。文化も感性も違う人たちをまとめて、大帝国を作り上げたのはすごいと思います。
メルジャン そうですね。オスマン帝国が、19世紀以降に設立されたいわゆる帝国と大きく違うのは、支配下に置いた国の言語、文化、習慣、人種、これらに一切関与せず、統治を進めたところだと思います。
—生活の等質化、平準化は図ったけれども、民族性をすごく大事にしたということですね。日本も同じようなスタンスでいろんな国と向かい合ってきたと思います。
メルジャン それに通じることかもしれませんが、日本に関してもう一つ印象的なのは、異文化、異宗教に対してすごく寛容なことです。
例えば、神社とお寺が隣り合って存在していたり、ムスリムの方もクリスチャンの方もその宗教を信じながら生活をする上で全く問題がない。今、私たちが生きているこの時代で、おそらく全世界で最も必要としているのは、この理解と寛容だと思います。
—トルコは必ずしもそうではないのですか。
メルジャン トルコも宗教に関して比較的には寛容ですし、暮らしやすい環境だと思います。私はあくまでも一般論として、宗教が政党や政治家に利用されるものになってしまっていて、それを利用して敵対心を生み出している現代の世界全体の中で、日本はすごく稀有だと言いたいのです。
—日本に対して深いご理解、愛情をお持ちの大使にご赴任いただいていることをとてもうれしく思います。
メルジャン 世界でもトルコでもニュースになりましたが、サッカーのロシアワールドカップで日本のサポーターの方々が観客席をきれいにして帰られた。しかもサポーターだけではなく、選手もロッカールームの掃除をして帰られて、さらには現地の言葉で「お世話になりました、ありがとうございました」と残したということで、世界中の方々が注目しました。
国籍関係なく、人間的にすばらしい行動に対して敬意を持って、それがすばらしいことなのだということを認識して、さらに他の人に広げていくということは、一人の人間としてすごく大切な義務だと思います。
私個人としては、できるだけ多くの方々に、こういったことがあるんだということをお知らせして、それぞれの国の方々が自分たちの文化の範囲内で、こういったすばらしいことを実現できるようになればと思っています。
ゆくゆくは世界全体でどの試合でも同じような形で、また、皆さんが日本を参考にしてすべての街の道が日本ほどきれいになったらすばらしいと思います。
このような風習、伝統というのは一朝一夕にできるものではありません。皆さまの祖先が残してくださった、このすばらしい風習に感謝されるべきだと思います。
私の信念の一つとして、良いこと、ポジティブなことは、分ければ分けるほど大きくなるというふうに思っています。
—良いお話をたくさんうかがうことができました。ありがとうございました。
メルジャン 私本人ではなく、私にこの言葉を与えてくれているアッラーに感謝します。