感動する、心が揺さぶられる これがコンテンツビジネスの基本
1980年代後半、後発のFM局が台頭、苦戦が強いられていたTOKYO FMの社長に就任。あっという間にFM局No.1の座を獲得した。その手腕を買われ、経営が行き詰まっていた東京メトロポリタンテレビジョンの経営を託された。『5時に夢中!』など攻めの番組で存在感を放っている通称TOKYO MX代表取締役会長、後藤亘さんにお話をうかがった。
個性的な番組をつくるためには、
自由に発想ができる環境がすごく大事
―TOKYO FMをFM局No.1に押し上げたところに、東京メトロポリタンテレビジョン(呼称TOKYO MX、以下MX)の社長のお話があったそうですね。
後藤 この会社は、当時の鈴木都知事が郵政省(現総務省)に対して、「東京のテレビ局には全国ネットの番組しかない。東京都の情報を提供するテレビ局があっても良いのではないか」と提案して誕生したんです。ちょうどバブルの頃ですから、東京都も予算が十分にあったみたいでね。
ただ、東京都のテレビ局ということでは問題があるということで、東京商工会議所が中心となって、1995年に開局しました。僕が社長を引き受けたのは、大変な損失を出して、立て直しが必要となった2年後です。
商工会議所の会頭を通じて、ある二人のメッセンジャーが、メッセンジャーと言っても先輩なんですけど、僕のところ来られて、「何とかやってくれないか」と。
―同じメディアとはいえ、ラジオとテレビでは世界が違うのではないですか。
後藤 その頃、2003年くらいにはデジタル化が進む、マルチメディア時代がやがてくるという情報を持っていました。デジタル化になれば、ラジオも含めてメディア全体に大きな変革が起こる。その時にMXの存在をアピールするチャンスがあるだろうと認識していました。
ところが行政というのは予定どおりにいくものではなくて、実際は2003年どころか2005年にようやく概略が決まって、2006、7年くらいから、デジタル化できることになったんですがね。
もう一つ、東京スカイツリーができたことも大きな転換になりました。スカイツリーは高さがありますから、出力が小さくても遠くまで電波を飛ばせます。東京のキー局は当時、VHFという周波数帯で放送していましたが、デジタルに変わった時に周波数がMX等が使っていたUHFになったんですよ。
もっとも、千葉、埼玉、神奈川3県のUHFのテレビ局からは、反発がありましてね。「自分のところまで電波が来ると東京都のテレビじゃなくて、キー局に次ぐような局になる」と、国にそうとう働きかけたんです。
それで、「みなさんのテレビ局を東京で見せたいというなら、どうぞ東京に電波を出してけっこうです」と(笑)。どうにか皆さんの了解を得て落ち着きました。そこからが本当のスタートではないでしょうか。
—まさにマルチメディアの時代になりましたね。テレビだけでも何百というチャンネルがあり、インターネットの情報もあふれています。その中で選ばれる番組をつくるにはどうしたら良いと思われますか。
後藤 それは、コンテンツをおもしろくするしかない。個性的な番組をつくるためには自由に発想ができることがものすごく大事です。だから番組を発想するプロデューサーには、「自由闊達にやれ、責任は俺が持つ」なんて太っ腹なことを言っているんですが、大きな問題が起きたら一番に減給です(笑)。
メディアを持つ限りは災害時の対策、情報発信のあり方を常に考えておく
―キャスティングも秀逸です。今、売れに売れているマツコ・デラックスさんもMXの「5時に夢中!」がきっかけですよね。
後藤 これはうちのプロデューサーの非常に優れたところですね。マツコさんは最初は代打だったんだよね。たまたまその日のゲストが、仕事がバッティングして来られないというので、当時番組MCだった徳光正行さんから紹介されたそうです。
でもマツコさんは人間的にしっかりした人だと思いますね。ふつう売れてくるとギャラがよくて効率のいいところに移るんですけど、あの人は「自分はMXでこの世の中に出してもらったから、その恩義は忘れない」と、いまでも「5時に夢中!」の月曜に出てくれています。
―テレビって人間性がにじみ出るものですね。
後藤 そうですね。人間が考えて、人間がつくって、それを見て泣いたり笑ったりする。それは人間そのものですよね。デジタルだ何だと言って、一見新しいメディアに見えますけど、コンテンツづくりそれ自体はものすごく人間的なものだと思います。そうでないと人間の心に通じないし、いくらAIの時代になったとしても、人間の心まではつくれない。
自説ですが、千年前の『源氏物語』は、まさに人間の心があるから書けた。心というものはもっともっと奥が深い。AIにはああいうものは書けないだろうと思います。
―社会人のスタートは東和映画だそうですね。映画からラジオ、テレビと、ずっとメディアの世界にいらして、共通するのはそういう人間的な部分ですか。
後藤 感動する、心が揺さぶられる、これがコンテンツビジネスの基本だと思います。手段として映画があり、音声放送があり、テレビジョンがあり、これからはネットもある。
これからテレビ局が生きていくためには、ネットと合流することはものすごく大事です。そして信頼性のある、人の心に刺さるコンテンツをどうつくるかということが決め手になってくるでしょう。正しくない情報をおもしろおかしく流すことによって混乱を起こすようでは、ジャーナリズムではなくなってしまいますからね。
―視聴者は、それが正しい情報なのかどうかを見極める力がますます必要になりますね。これから10年先、20年先はどんな時代になると思いますか。
後藤 どんな時代になっても人間の根源は心であることは変わらないと思います。
テクニカルの面では、スマホの時代になり、ネットの機能が非常に優れてきて、電波の特性が弱くなっているのは事実でしょう。
ただ、大きな災害が起こった時などは、電波の特性が活きてくると思います。何年に1回あるかわかりませんが、メディアを持つ限りは災害時の対策、情報発信のあり方、そういったものを常日頃から考えておかなければならないと思っています。
―例えばどのような?
後藤 うちはMX1とMX2と放送をマルチチャンネルで2つやっていますが、技術的には3つ放送できるんです。だから、災害時には3つにできないかと。例えば、災害発生地区はMX1でやり、その周辺はMX2でやって、さらに外のほうはMX3でやる。
というのは東京の場合、下町と山手では環境がぜんぜん違います。一つの電波で同一の内容を東京都民に流しても何の意味もありませんからね。
東日本大震災の時も、コミュニティFMが非常に活躍しましたが、あれは小さいエリアだから活躍できたんですよ。一つのテレビ局の電波を三つに区切ってやれば、地域に密着した有益な情報が提供できるんじゃないかと考えているんです。
お金とは結果論。まず何かがあって、結果としてお金が入ってくる
—2020年の東京オンピック・パラリンピックに向けて、東京都のテレビ局としてどのようなことを考えていらっしゃいますか。
後藤 みなさんご存知だと思いますが、IOCとの関係でNHKが圧倒的な力を持っています。民放連挙げてNHKと寄り添って権利を取ろうとしていますが、やはりNHKのほうが歴史も金もありますからね。
例えば、民放が半分取ったところで条件は悪いんですよ。それだったら違う発想で行こうと思っています。
—と言いますと?
後藤 そもそもオリンピックの精神は、スポーツと文化です。スポーツと文化の祭典がオリンピックであるとオリンピック憲章にもあります。しかし、日本だけは文化イベントに関して非常に弱い。
僕がショックだったのは、ロンドン・オリンピックの時に、浮世絵の1万3000円くらいの厚い本がバカ売れしたんですよ。フランスでも北斎シリーズが大人気です。日本でも最近ようやく北斎が取り上げられるようになりましたけど、今の若者に北斎と言っても分からない人が多い。
でも、東京には江戸時代の絵画だけじゃなく、文化遺産がまだまだあります。文化面で東京都もいろいろやろうとしていますし、うちも自分たちでもやれるところは徹底的にやろうと考えています。
—例えばどのようなことを考えていらっしゃるのですか。
後藤 文化イベントと言っても、絵画だけじゃなく日本独特のものがいろいろあると思うんですよね。
世界から見ると、日本は極東の端の方にある小さな島国です。しかし、日本の歴史や文化は決してヨーロッパにも中国にも負けていないと思います。今度のオリンピック・パラリンピックを、東京の、そして日本の歴史・文化をしっかりとアピールできる素晴らしいチャンスと考えています。
—NHKや他の民放と同じ内容を配信しても意味がありませんものね。
後藤 そういう気がするんですよ。商売としては、オリンピック・パラリンピックに乗ったほうがいいのかもしれないけど、僕は商売が下手だから(笑)。
—商売が下手だったらTOKYO FMもTOKYO MXもここまでにはならなかったと思います。
後藤 いやいや、商売下手だったからできたんじゃないかな(笑)。商売って、お金を巧みに儲けることに価値をおいていますよね。僕は、お金というのは結果論だと思うんですよ。まず何かがあって、結果としてお金が入ってくる。社員には「お金を取ることを目的とするな」と言っているんです。お金が目的になったら、価値観がぜんぜん違ってきますからね。
—それこそジャーナリズムの根源である人間の心がどこかへ行ってしまうかも知れません。
後藤 そうそうそう。変な方向に走って行きそうだ(笑)。そういう意味でも文化は大事だと思います。人間の心がつくりだしたものですからね。