2008年10月20日号
<江戸の技と知恵の歳時記>
第10回 つまみ簪(かんざし)
つまみ簪(かんざし)

 簪の語源はさまざまだが、一般に髪刺(かみざし)、挿頭(かざし)からきていると言われる。

 日本では古代、先のとがった1本の細い棒に呪力が宿ると信じられ、「髪刺し」をすることによって魔を払うことができると考えられていた。一方、日本書紀や万葉集などにみられる挿頭は、神事や朝廷の節会(せちえ)に宮人の冠に花枝を挿すことが行われ、これが民間の祭事などにも流行し、一般の節会の習慣になったというもの。

 簪が純粋に髪飾りとして独自の発達をとげたのは江戸時代中期以降。女性の結髪の種類が増え、素材は金、銀、銅など金属製のものや、鼈甲、象牙、珊瑚、ガラスなど多様になり、デザインも草花、蝶、鳥など広がった。

 簪は素材によって作り手が異なり、金属製のものは錺(かざり)師、つまみ簪はつまみ細工職人、鼈甲製は鼈甲師によって作られていた。

 当時、つまみ簪は銀や鼈甲製に比べ安価で、上流階級のみならず町民にまで普及した。また参勤交代などの折に江戸土産としても重宝され、盛んに作られるようになった。

 つまみ簪は赤、桃色、水色、黄色などに色染めした羽二重(絹織物)の小さな布片をつまんで折りたたみ、糊の敷かれた板に並べていく。この時、丸くふっくらと折るのは丸つまみ、先を鋭角的に折るのを角つまみという。

 つままれた布は、針金がついた台紙の上で花や蝶などの形になるように一つひとつ組み合わせていく「ふく」と呼ばれる作業が行われる。こうして作られた飾りを一つにまとめ、極天糸(ごくてんし)という特別な糸で巻き上げて仕上げる。職人たちの細やかな手仕事により作り上げられた簪は、華やかに着飾った女性たちを一層ひきたてるのだ。

 昭和に入って洋装が定着するにつれ、簪の生産も年々減少し、今ではつまみ簪職人も全国で10人前後になってしまった。しかしその人気は絶えず、子どもや孫のために、また成人式や結婚式の晴れ着を飾るものとして、つまみ簪を買い求める人は多い。もうすぐ七五三。ちょこちょこと動く小さな頭の上に、きらびやかな花や蝶が揺れることだろう。

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