2008年7月20日号
<江戸の技と知恵の歳時記>
第7回 江戸の花火

両国花火資料館には花火の玉の模型や実際に打ち上げられた後の玉などが展示

 ヒュー、ドンドン!パリパリパリ……。夏の夜空に菊や牡丹などの大輪を咲かせる花火。今でこそ季節を問わず見物できるが、両国の花火は江戸に夏を告げる一大イベントであった。

 日本に花火が伝わったのは、1543(天文12)年。鉄砲伝来とともに火薬の配合が伝えられた後のこと。1613(慶長18)年8月6日、花火上手(じようず)の唐人が江戸城二の丸で上げた花火を徳川家康が見物したといわれ、そのころから花火師が現れ、やがて撚花火や線香花火を売り歩くようになった。珍しいもの好きの江戸っ子に花火はあっという間に広がり、幕府は鼠火、流星などの花火を町中で上げることを禁止する触れを出すほどであった。

新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図

 隅田川花火大会の起源は1732(享保17)年。全国的な凶作と疫病の流行により江戸で多くの死者が出たため、翌年慰霊と悪疫退散をかねて幕府は両国橋近くで水神祭を行った。そのとき両岸の水茶屋が余興として献上花火を上げたのが始まりと伝えられ、以後、川開き初日に花火を打ち上げるのが恒例に。

 花火を打ち上げたときの掛け声「たまや〜、かぎや〜」は、この両国の川開き花火の二大花火師の屋号。両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、花火合戦が始まったが、玉屋の人気が絶大で「橋の上 玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やといわぬ情けなし」と歌に詠まれるほどであった。しかし、この玉屋も失火によって町を類焼させ江戸追放処分となり、江戸庶民の人気を集めた玉屋も一代限りとなってしまった。

 その昔、隅田川界隈の茶屋が賑わい、屋形船や橋上に見物人がひしめきあった花火は、今も変わらず人々を魅了し続けている。

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