2008年3月20日号
<江戸の技と知恵の歳時記>
第3回 花見は江戸緑化の賜物
武家屋敷や寺社が競って立派な庭園を整備した江戸の町では、庶民の間にも園芸熱が高まり、植木屋が大いに繁盛した。植木屋たちは品種改良にも積極的で、柳沢家の六義園がある染井村(現在の豊島区駒込、巣鴨一帯)で、オオシマザクラとエドヒガンザクラを交配させ、ソメイヨシノが生まれたことはよく知られる。
花見が江戸庶民にとって欠かせない行事になったのは、八代将軍吉宗の頃からとされる。紀州徳川家出身の吉宗は、故郷を懐かしむように、品川の御殿山、隅田川堤、小金井堤など熱心に桜の植樹を勧めたという。
なかでも王子の飛鳥山は、庶民も気兼ねなく花見ができる場所として人気を集めた。「きさらぎ・やよひの頃は桜花爛漫として尋常(よのつね)の観にあらず」と江戸名所図会に記される。